種々の雑記

    

趣味

    
#創作全般
創作と適性のややネガティブな話とそれでも創作は結構好きという話。
自由の裏っかわには適性の有無がつきまとうけど、好きかどうかと適性の問題は独立する、ということを何となくずっと考えている。
注意:ややネガティブな自分語り
絵を描く・小説を書く・創作をすることに、やっぱり幼少期から己の適性のなさが払拭できず、結構本気でガルガル威嚇する事がある。出来ない事を何とかやっている。

実の所、幼少期から創作に繋がる行為全般、全部が本当〜に出来なくて、創作の前では適正のなさが浮き彫りになって、無力感を感じていた。いつも白紙の前で手が動かせないタイプ。ここで、出来ないからしょうがない、出来ないんだからよ〜! って開き直れずに、クソ真面目に改善しようとして、他者と比較して、自分がかろうじて絞り出したアイデアやものの貧困さに苦しんで更に拗らせたタイプ。図画工作のこと考えると、今も苦しい。
今考えると、好きなもの作ってね、に対して、好きなものって何、と固まって何もできなかったので、根本的な原因は表現したいものがないし思いつかない部分にあるっぽい。しかも昔は自分の好きややりたいことへの感覚が希薄なきらいもあったし。できない割にクオリティは求めるし。とにかく息苦しい。周りは普通にこなしていくから尚更。

その無力感が今も尾を引いている。一応時間薬と、今はやっと何が好きか、何をやりたいかの感覚がはっきりしてきて、書きたいことがあるから振り切っているけど、創作を続ける限りずっとぶり返す気がしている。いや、でも意外にストンとなくなるかもしれない。
だってツイッターは一生続けるんだろうな、と思ってたけど仕様変更で普通にやめたから。未来って未確定。分岐点は意外に普通。

でも創作自体はこんな自分を歯牙にもかけずにただ在るだけだから、今は結構好き。昔の感覚が出るとガルガルするけど、それでも創作自体は何も変わらないでそこに在る。
創作自体はこっちが何言っても嫌っても何も言わないし、何か言うのは自分を含めた人間だけだって気がついてからは、好きにはなれた。未だに出来なくて苦しいし、多分自由じゃないけど、それでも結構好き。
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